家族が若年性認知症-前頭側頭型と診断されました

2017年、義母が60歳で若年性認知症と診断されました。

認知症と車の運転ー若年性認知症と診断されて

義母が若年性認知症と診断されてから、いろいろな問題が表面化したんですが、その中の一つが『車の運転』です。

 

昨今テレビのニュースで認知症のお年寄りが運転する車が突っ込んだとか、人を撥ねたとかをよく見ますが、我が家も他人事ではありません。

 

診断されてから、そういえば家族に内緒で車を修理に出していたな、とかこの前も少しガレージでぶつけたとか言ってたな、とかを思い出しました。

 

これはまずい!

早く運転を止めさせなくちゃ。

 

そう思ったんですが、これがなかなか難しい。

 

まず義母は自分が認知症だということは知っています。

でも、認知症が何かがわからない。

 

『私、認知症だから~』なんて軽いフレーズを周りに言いますが、まったくもって『認知症』だからどうなんだという感じです。

 

だから『認知症の人は運転しちゃダメなんだよ』

そんなこと言ってもわからないのです。

 

うちのあたりは地方の田舎なので車が一人一台は当たりまえ。

車がなければどこにも行けません。

 

現在もですが、まだ仕事をいくつもしていた義母はなおさら車がないと困る!!という意識は強く、ぜったいに車を運転すること止めませんでした。

 

 

そして当初は義父も義母から車を取り上げてしまうのは可哀想だという考えを持っていました。

私や主人・義妹が説得しても『まだ大丈夫』と義父の方が言う始末。

 

そこには義父なりの義母への愛情や義母の送り迎えが大変などいろんな思惑があったと思いますが、まず義父を説得するのが大変でした。

 

義母が長距離を運転すると言えば主人は烈火のごとく怒りますし、義母はイライラとなり、物を隠したり壊したりします。

 

義父も私たちに勝手にしろ!と怒りますし、その時は私もイライラがすごかった(笑)

 

 

もし、義母が運転していて誰かを撥ねたらどうするの?

お義父さん責任とれるの?

そういって義父を責めたりもしました。

 

出来れば義父に義母を説得してもらいたかったので。

でもまぁ、普段から義母は言うことを聞く人ではないし、義父も強く言うような人でもないので、なかなか車を取り上げることは進みませんでした。

 

それから数か月。

ゴールデンウィークだったと思います。

義母の症状がどんどん進行し、理解力も低下してきたことを義父も近くで感じていたのでしょう。車を取り上げることに賛成してくれるようになりました。

 

夜食事を終え、義母が寝た頃、主人と義妹と三人で義母の車に細工をしました。

次の日、義母が出かけようとしてもエンジンがかからないようにしたのです。

義母はもちろん主人を呼び、主人が壊れてるねと計画通り伝えます。

ゴールデンウィークでいつも修理に出しているディーラーも休みで、休み明けに義父から連絡してもらうことになりました。

 

この頃にはすでに義母はちゃんと物事を人に伝えられなくなっていたので、義父が電話することに意を唱えたりはしませんでした。

 

義父はディーラーの担当者の方に前もってこの計画を伝えていたので、もし義母から連絡が行ってもうまくことは運ぶようにはなっていました。

 

週明け、義母を仕事に送り出した後、駅前に借りている駐車場に義母の車をとりあえず移動し、そこで1,2週間放置しました。

 

その間義母は毎日、車はまだ直らないの?と口癖のように何度も何度も義父に聞いていました。

義父は辟易していましたし、業を煮やした義母は自らディーラーさんへ電話をかけては聞いていました。

 

原因がわからなくてなかなか直らない。

 

そういってひと月が立ち、二月が経つころ、義父が車を手放すことにし、義母の車は完全になくなりました。

その頃には車のことをたまに口にするくらいで、あの毎日何度も何度も車、車と言っていたことが嘘のように義母は車のことを口にしないようになりました。

 

 

 

今思い返してみても、結構大変だったなと思いますが、認知症の症状を逆手に取ってしまえばこれが最良だったのかなと思います。

 

免許を取り上げたところで、免許がなければ乗ってはいけないという道理は通じないので、車自体を視界から消す必要がありました。

車を手放すまでは義母というよりも義父の抵抗にあい、隠したら義母の抵抗にしばしあいましたが、事故を起こしてしまうよりは何倍も良い結果になり良かったです。

 

 

 

 


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