認知症を疑い始めた頃~診断されるまで
義母の認知症が診断されたのは去年の話です。
その一、二年程前からなんとなく、家族の中では義母の認知症もしくは精神疾患を疑いだしていました。
義母はいつのころからか物の名前がまったく出てこなくなりました。
『アレ』『ソレ』『コレ』
人の名前も出てこなくなりました。
そして以前も経験していることをまるで初めて経験したかのような反応を返すようになっていました。
数年前からそういうのは日常的で、主人も私も家族の気を引きたいがためにわざとやっているのだろうと思っていました。
『なんでそんなこと何度も聞くの?』
『さっきも説明したでしょ』
簡単なことでもすぐに人に頼むことも多く、
『なんでこんなこともできないの?』と私たちがイライラと返事を返すこともありました。
年々ひどくなるそういう症状が病気かな、と思い始めたのは2年ほど前でした。
あまりにもひどくて、一度お医者さんで診てもらった方がいいんじゃないかという話になりました。
本人は嫌がって、病院に行く暇はないと断固拒否していましたが、
なんとかうまくだましだまし、義妹に義母を近くの病院の『物忘れ外来』に連れて行ってもらいました。
義母はその頃60歳になるかならないかで高齢者には当てはまらないですが、言葉が出ない、人の名前や顔を覚えられない、経験したことを忘れているなどの症状を調べてみると認知症ぽかったので『物忘れ外来』に連れていくことにしました。
『物忘れ外来』では認知症の検査をしてくれました。
高齢者向けのだと思います。
脳のCTを取り、テストを受けたようです。
その結果、義母の脳に縮小は見えたものの、テストではほぼ満点だったらしく、脳の縮小は老化によるものだろうと判断されました。
『物忘れ外来』で思っていた結果が出なくて普通なら喜ぶところですが、私たちはその後の義母を見ているとますます不安になっていきました。
それから1年が経ち、やはり認知症の疑いが晴れなかったため、今度は若年性認知症に関して有名なクリニックを受診しました。
予約してから3か月待ちました。
やっと受診出来たとき、はっきりとした病名がわかりました。
『前頭側頭型認知症』
若年性認知症と言えばアルツハイマーという知識しかなかった私は、そんな病気があるのかと思いました。
一応、若年性認知症を疑ってはいたので調べてはいたのですが、よく聞く『アルツハイマー型認知症』かなと思っていたのです。
確かにアルツハイマー型認知症には当てはまらない症状もあったので、はっきりとそうだとは思っていなかったのですが、『前頭側頭型認知症』というもの自体聞きなれなかったし、調べてみるとその病気がアルツハイマー型に比べると患者数も少なくて、難病指定を受けている病気だということがわかりました。
この病気を調べると言ってもそうたくさん情報があるわけではなく、また前頭側頭型認知症にもいろいろな型があるようで、義母がどれに当てはまるのかもう少し様子を見る必要があるように感じました。
義母がおかしいな、と感じ始めてから2年ほど。
病院に行っても病名はわからなくて、もやもやとしていたものが若年性認知症の専門医にかかり初めてクリアになりました。
病気だったんだと思えば、イライラすることも減りました。
優しくしてあげたいと思うことも増えました。
しょうがないね、と思うことばかりです。
今思えば、もっと早く気付いていれば、もっと早く病院に連れて行ってたら。
そう思わなくないですけど、でも、働き盛りの義母から少しずつ発せられる違和感を敏感に感じ取れるほど家族はそばにいなかったし、会話もしてこなかった。
だからしょうがなかったし、今言ったところでどうしようもないことです。
でも、今からでも遅くはないなとも思います。
我が家は義母の病気がわかってから、義母に優しくなれているし、
義母と過ごす時間も増えています。
認知症にもいろんなタイプがあるということを知りました。
たぶん、義母はまだ手のかからないタイプ。
だからこそかもしれませんが、まだもう少し、一緒に何かをしたり出来るかもしれないなと思います。
病気と診断されてからのほうが優しくなれるなんて、申し訳ないですけど、
出来れば義母が逝く最期の時まで、
穏やかな時間が過ごせるように手伝いが出来ればいいなと思っています。